皆さん、こんにちは。昭和の残り香を求めて三千里、かっぱ隊長です。
最近の夏は「命に関わる暑さ」なんて言われますが、昭和の夏も別の意味で命がけでしたよね。特に「海水浴」。
ここ最近では、若者の海離れが叫ばれ、海水浴は減少の一途を辿っているそうです。
そこで今回は、砂と塩にまみれた「昭和の海水浴」を振り返ってみたいと思います。
いざ海へ!民族大移動!
昭和の海水浴は、家を出る前から始まっていました。
お父さんは早朝から車に荷物を詰め込みます。冷房なんて贅沢品、ガソリン代を浮かせる為に窓は全開。高速道路の渋滞に巻き込まれ、排気ガスと熱風にさらされながら海を目指す。まさに「我慢大会」です。
電車組も大変です。当時の臨時列車は大混雑。通路やデッキに新聞紙を敷いて座る人、人、人。
当時、電車の中でもタバコが吸えた時代。車内の真っ白に煙ったタバコの煙をものともせず、子供達はこの一大イベントにワクワクが止まりませんでした。
恐怖の「ゴムボート」と「浮き輪」
海に着けば、そこはカラフルなパラソルの花が咲くカオス地帯。砂浜はパラソルで埋め尽くされ、砂浜に遅く着いた家族たちはパラソルを開くことさえ許されない無法地帯と化していました。
ここで昭和の海水浴を語る上で欠かせないのが、あの独特なビニールの匂いです。新品の浮き輪やビーチボールを膨らませる時、あの独特の匂いを我慢しながら息を吹き込んだものです。
1950年代(昭和20年代後半)から、それ以前は、ゴム製だった浮き輪がビニール製となり、着々と普及していったそうです。
そして、オレンジ色のゴムボート。あれ、一度沖に流されると、子供の力では戻ってこれないんですよね。監視員のお兄さんにマイクで怒られるのは、夏の恒例行事でした。
海の家で食べる食事は何であんなに美味しかったのだろう?
砂浜に建つ、あの中途半端にボロい(失礼!)「海の家」。
あそこで食べる「焼きそば」「ラーメン」「カレーライス」「かき氷」は、なぜあんなに美味しかったのでしょう。
今のオシャレなビーチサイドカフェにはない、海に来たワクワク感と言うトッピングが食べ物の美味さを倍増させていたのでしょうか。
昭和女子の勝負服!水着の変遷
昭和のビーチを彩ったのは、やはり水着です。
1970年代、アグネス・ラムやキャンディーズの影響で、ビキニが一般的になりました。
昭和40年代くらいまでの水着は、まだナイロンが主流であり、伸縮性がイマイチでしたね。1970年代に「スパンデックス(ポリウレタン弾性繊維)」が普及したことで、伸縮性が劇的に向上、ようやく私たちは「脱げそうになる恐怖」から解放されたのです。
帰宅後の地獄:真っ赤な背中
昭和の海水浴、昭和キッズに「UVケア」なんて概念はありませんでした。
それもそのはず。当時、小麦色に灼けた肌は健康的と考えられ、グラビアのポスターのおねえさんは、誰もが小麦色に灼けているのが当たり前。
子供たちは日焼け止めなんて塗ってもらえず、かと言って、サンオイルなんてオシャレなものを塗るはずもなく、一日中太陽に晒されます。
黒く、そして赤くなった肌は、帰宅後、子供達に牙を剥くのです。待っているのは「お風呂」。
お湯に肩まで浸かった瞬間、「ギャァァァ!」と悲鳴が上がる。
やがて背中の皮が剥けて、まだらになった背中。あのヒリヒリ感こそが、昭和の夏の「勲章」だったのかもしれません。
あの頃、カオスだった砂浜は今
今の海はきれいに整備され、オシャレな海の家、砂浜にはノリノリの音楽が流れます。
テントもワンタッチ方式、日焼け対策も万全、あの頃のカオスだった砂浜はもうありません。
それはそれで快適なのですが、あの泥臭くて、騒がしくて、砂まみれだった昭和の海水浴が、時々無性に懐かしくなりませんか?もしかして、あの騒々しさが楽しさを倍増させていたのかもしれませんね。
それでは、また次回の回顧録でお会いしましょう!
かっぱ隊長でした。
昭和40年代生まれの何の取り柄もない爺いです。
関西出身の東京在住。
懐かしいもの、怖いものが大好き。


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