こんにちは、かっぱ隊長です。
昭和の子供の頃、旅行から帰ってきた親戚が手土産に持ってきたもの——何を思い浮かべますか?
今どきのスイーツ?ご当地グルメ?
違います。
「提灯」か「ペナント」です。
この二択しかなかった時代があったのです笑
今日は、昭和のお土産文化を象徴するこの二大定番アイテムについて、懐かしさとともに振り返ります。
目次
昭和のお土産は「飾るもの」だった
現代のお土産といえば、まず「食べ物」が思い浮かびます。
東京ばな奈、白い恋人、萩の月——ご当地銘菓の時代です。
しかし昭和のお土産文化は、根本的に発想が違いました。
「どこへ行ったか、形に残す」という思想が根底にあったのです。
食べてしまえば消える食べ物より、飾ることで「あの場所へ行った証拠」が残るものを贈る。
それが昭和のお土産哲学でした。
そしてその哲学を最もシンプルに体現したのが、ペナントと提灯だったのです。
ペナントという「三角形の記念碑」
ペナントとは、細長い三角形の布に観光地の名前や絵が印刷されたお土産グッズです。
「日光」「熱海」「箱根」「北海道」——どこの観光地に行っても必ず売っていました。
色は鮮やかで、房(ふさ)がついていて、上部には壁に飾るための棒が通っている。
これを壁に画鋲で留めるのが昭和の定番の飾り方でした。
豆知識ですが、ペナントが日本の観光地土産として普及したのは昭和30〜40年代のこと。高度経済成長期に国内旅行が盛んになるとともに、「旅の記念」として全国に広まりました。
価格も手頃で、かさばらず、持ち帰りやすい。これがペナントが土産物の王者になった理由です笑
提灯という「光る証拠品」
もう一方の雄、提灯も負けていません。
和紙や布に観光地の名前が書かれた提灯は、室内に吊るして飾るタイプが主流でした。
実際に火を入れることはほぼなく、完全にインテリアとして使われていたわけです笑
「京都」「浅草」「長崎」——地名が書かれた提灯が和室の天井に吊るされている光景は、昭和の家庭の典型的な風景でした。
提灯は「日本らしさ」の象徴でもあり、外国からの来客をもてなすにも使われました。
ただし大きいものは持ち帰るのが大変で、新幹線や飛行機の荷物置き場で格闘している旅行客を見かけるのも、昭和の風物詩の一つでした笑
なぜ壁に飾ったのか、という根本的な疑問
冷静に考えると、ペナントも提灯も「実用品」ではありません。
ペナントは旗ですが、使い道はない。提灯は灯りですが、実際には点けない。
なぜこれほど流行ったのか。
それは「旅の記憶を可視化したかった」からだと、かっぱ隊長は思います。
写真がまだ高価で気軽に撮れなかった昭和において、旅の証拠を家に飾ることには特別な意味があったのです。
「うちは日光に行ったことがある」「北海道にも行った」——それを来客に見せることが、ちょっとした自慢にもなっていた笑
SNSのない時代の「リア充アピール」が、ペナントと提灯だったのかもしれません。
昭和の子供部屋はペナントギャラリーだった
特に子供部屋におけるペナントの存在感は圧倒的でした。
壁一面にペナントが貼られた子供部屋は、昭和の「勝ち組インテリア」とも言えるものでした笑
修学旅行、家族旅行、親戚からのもらいもの——ペナントが増えるたびに、その子の「行動範囲の広さ」が壁に証明されていく。
友達が遊びに来て「え、北海道行ったの?」と羨ましがられるのが、昭和の子供の密かな快感でした。
今でいえば、インスタのフォロワー数を見せびらかすようなものでしょうか笑
お土産が「食べ物」になった時代の変化
昭和後期から平成にかけて、お土産の主流は食べ物へと移行していきました。
カメラの普及で「記念の形」は写真で残せるようになり、わざわざ飾り物を買う必要がなくなったのです。
ペナントと提灯は、写真文化の普及とともにゆっくりと表舞台から退いていきました。
しかし今でも観光地の土産物屋の隅には、ペナントが売られています。
それを見つけると、昭和の子供に戻ったような気持ちになるのは、かっぱ隊長だけでしょうか。
あなたのご実家の壁にも、まだペナントが残っていたりしませんか?
かっぱ隊長でした。
昭和40年代生まれの何の取り柄もない爺いです。
関西出身の東京在住。
懐かしいもの、怖いものが大好き。

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