全自動なんて軟弱だ!執念で入った「昭和のお風呂」サバイバル

昭和の生活
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こんにちは。令和の全自動お風呂システムに甘やかされ、ハングリー精神を忘れかけている、昭和生まれのかっぱです。今日は、私たちの心と体を鍛え上げた「昭和のお風呂文化」について、汗と湯気にまみれた記憶を呼び覚ましてみたいと思います。

AI非搭載、完全人力の「温度設定」

昭和40年代のお風呂に全自動なんてものはありませんでした。

温度設定? ……ふざけるなと言いたい。昭和の風呂場に、そんな軟弱な機能はありませんでした。そこにあったのは、水を張った風呂桶を温める機能だけ!

お湯の温度設定は、完全に人間の勘と経験に委ねられておりました。

ガス釜のカチカチカチ……ボッ!!という点火音。そこから始まる、釜との真剣勝負。

ちょっと目を離すと、風呂桶はまたたく間に「釜茹での刑」状態に。

「水入れろ!水!」

という会話が、日本全国の夕暮れ時に響き渡っていました。

伝説の聖剣「お湯を混ぜる棒」の奥義

沸かしすぎた地獄風呂を適温にするため、必要不可欠だった聖剣……それが「お湯を混ぜる棒」!

それは、ただの木の板、またはプラスチック製の謎の棒。

だがしかし、昭和のお風呂場においては、棒はバスクリンと並ぶお風呂場にはかかす事の出来ないトンでもなく頼れる相棒だったのです。

これで風呂桶のお湯を撹拌(かくはん)する「湯もみ」作業、傍から見れば草津温泉のようですが、本人は必死。

それは何故か!?なぜなら昭和のお風呂は混ぜないととんでもない事になりました。

湯船に手を入れて、ええんでないかい、と油断していると、上はアツアツ、下はぬるま湯なんて当たり前だった訳であります。

シャンプーハットという名の冠

昭和の子供たちにとって、洗髪は拷問でした。

なぜなら、当時のシャンプーは「目に入ると失明するレベル(子供の主観)」で痛かったからです。

そこで登場した救世主が、あの黄色い「シャンプーハット」です。

実はシャンプーハット、1969年(昭和44年)に日本で生まれた大発明品なんです。「子供が風呂を嫌がらないように」という親心から生まれました。

これを頭に装着した姿は、まさに王様。

しかし、この王冠には欠点がありました。

サイズが合わなかったりすると、隙間からシャンプー泡を含んだお湯が総攻撃を開始します。結局、目は潰れ(かけ)、阿鼻叫喚の地獄絵図が展開されたのでした。

 女子のステータス「りんごちゃんお風呂セット」

そして、忘れちゃいけないのが、女子たちの間で大人気だった「りんごちゃんお風呂セット」!

真っ赤なりんご型のプラスチックケースに、バナナのシャンプーやもも石鹸、オレンジのスポンジなど入っていて、蓋を開けた瞬間に心奪われる女子たちの憧れでしたね。

銭湯の英雄「ケロリン桶」

家風呂がまだ普及途上だった時代、銭湯はエンタメの殿堂でした。

銭湯の広い脱衣所で服を脱ぎ捨て、浴室の戸を開けた瞬間に目に飛び込んでくる黄色いアイツ。そう、「ケロリン桶」です。

あの鮮やかな黄色と「ケロリン」の赤い文字。あれを見るだけで、脳内に「お風呂モード」のスイッチが入ります。

ちなみに、関東と関西では、ケロリン桶のサイズと重さが違うんです!

関東版(A型)は直径22.5cm、関西版(B型)は直径21cmと一回り小さく、関西は掛け湯文化に合わせて軽く、持ち運びやすく設計されています。関東は洗い場でしっかり洗うため大きめ、関西は湯船から直接お湯を汲むため小ぶりな桶が主流なんですね。

そして、ケロリン桶のあの驚異的な耐久性は、当時の銭湯文化を支えた影の功労者と言えるでしょう。

「カラスの行水」という美学 

昭和の子供は、汚れていようが、臭かろうが、基本的に面倒臭いのでお風呂が嫌いでした。

(異論は認めますw)

おまけに夜は、テレビで観たい番組が目白押しだったので、お風呂なんか入っている時間なんぞありません。

結果、長風呂なんてクソ喰らえという訳で、子供の入浴時間は自然と短期決戦になります。「カラスの行水」とはよく言ったものであります。

しかし、あの不自由でアナログな空間には、今の快適なお風呂にはない、不便だからこそのありがたみがあった気がします。

風呂焚き釜の匂い、お湯を混ぜる音、シャンプーハットの締め付け。

今の全自動お風呂は、ボタン一つで40度のお湯を提供してくれますが、昭和のお風呂は、不便さを楽しむ場所だったような気がします。

皆さんの家のお風呂はどうだったでしょうか?

「お湯を混ぜる棒」は何を使っていましたか?

かっぱ隊長でした。

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