こんにちは、かっぱ隊長です。
今年も来ました、殺人的な夏が。
朝7時からすでに30度超え。アスファルトから陽炎が立ち上り、日傘なしで外を歩けば5分で干からびる。
……昭和の夏は、こんなんじゃなかったはずです。
「気のせいやろ」と言う方もいるかもしれませんが、気のせいじゃないんです。
データでも証明されていて、東京の夏の平均気温は昭和40年代と比べて約2度以上上昇しています。たった2度と思うかもしれませんが、これが日常の体感としては天と地ほどの差があるのです。
今日は、扇風機一台で乗り切れた「昭和の夏」を、令和の猛暑と比べながら振り返ります。
目次
- 昭和の夏は「朝が涼しかった」
- 扇風機一台で家族全員が乗り切れた夏
- 夕立ちはあっても、洪水にはならなかった
- 夕涼みという、失われた昭和の文化
- 窓を開けて寝られた、防犯も気にしなかった
- あの夏はどこへ行ってしまったのか
昭和の夏は「朝が涼しかった」
昭和の夏休み、親から必ず言われた言葉があります。
「宿題は朝の涼しいうちに済ませなさい」
これ、令和の子供に言っても全く意味をなしません。
なぜなら、令和の夏の朝はすでに涼しくないからです。
朝6時に起きても、すでに28度。朝7時には30度を超えることも珍しくない。
でも昭和の夏は違いました。
朝の空気はひんやりとしていて、窓から入ってくる風が心地よかった。
「朝の涼しいうちに」という言葉が完全に意味をなしていた時代が、確かにあったのです。
夏休みの朝、まだ誰も起きていない涼しい台所でラジオ体操から帰ってきて、麦茶を一杯飲みながら宿題をする——あの清々しい朝の記憶は、昭和の夏だからこそのものでした。
扇風機一台で家族全員が乗り切れた夏
昭和の家庭にエアコンが普及し始めたのは、1970年代後半から1980年代にかけてのことです。
それ以前の昭和の家庭の夏の必需品は——扇風機だけ。
それで乗り切れていたのです。
信じられますか?
扇風機の風を浴びながら、縁側でスイカを食べて、昼寝をして——それで「まあ、暑いけどなんとかなる」レベルだったのです。
もちろん暑かったですよ。汗もかいた。「暑い暑い」と文句も言った。
でも「命の危険」を感じるような暑さではありませんでした。
今や「熱中症に注意」「外出を控えて」「エアコンを使いましょう」と連日テレビで呼びかけられる時代です。
扇風機一台で家族全員が乗り切れた昭和の夏が、今となっては信じられないほどです。
ちなみに当時の扇風機といえば、東芝や三菱の金属製の羽根が付いたもの。あのブーンという振動音と、首振り運動のカクカクした動きが、昭和の夏の音でした。
夕立ちはあっても、洪水にはならなかった
昭和の夏の夕方、よくありましたよね。
突然空が暗くなって、ザーっと激しい雨が降る。
30分もすればパタリと止んで、雨上がりの土の匂いが漂ってくる——夕立ちです。
夕立ちは昭和の夏の風物詩でした。
「あ、夕立きた」と縁側で雨を眺めながら、雨宿りをする。子供は「やった!外で遊べない!」とか言いながら、なぜか嬉しそうにしていた笑
でも夕立ちが「洪水」になることは、ほとんどありませんでした。
ザーっと降ってパタリと止む。川が氾濫するような事態にはならない。
ところが令和の夏の「ゲリラ豪雨」は違います。
短時間に信じられない量の雨が降り、アンダーパスが水没し、川が氾濫し、土砂崩れが起きる。
昭和の夕立ちと令和のゲリラ豪雨は、名前は似ていても全くの別物です。
気候変動の影響は、こんなところにもはっきりと出ているのだと、かっぱ隊長はしみじみ思います。
夕涼みという、失われた昭和の文化
昭和の夏の夕方には、「夕涼み」という文化がありました。
日が落ちると、あきらかに気温が下がった。
縁側に出て、うちわを仰ぎながら涼む。近所のおじさんやおばさんと世間話をする。子供たちは外でまだ遊んでいる。
「涼しくなってきたな」——その一言が、昭和の夏の夕方を締めくくる言葉でした。
夕涼みが成立するためには、「夕方になると涼しくなる」という大前提が必要です。
令和の夏は、この大前提が崩れています。
夜9時になっても30度を超える熱帯夜が続く。窓を開けても生暖かい風しか入ってこない。
「夕涼み」という言葉自体が、もはや死語になりつつあります。
縁側でうちわを仰ぎながら、蚊取り線香の煙が漂う中、遠くで花火の音がする——あの夕暮れ時の昭和の風景は、気候変動とともに静かに失われてしまったのかもしれません。
窓を開けて寝られた、防犯も気にしなかった
昭和の夏の夜の寝室を思い出してください。
窓は全開。網戸越しに夜風が入ってくる。蚊取り線香がくゆっている。
エアコンなんてなくても、窓を開ければ眠れた。
夜になれば気温が下がり、風が涼しかったからです。
そして——防犯なんて、あまり気にしていなかった。
「窓開けて寝たら危ない」という感覚が、昭和にはそれほど強くなかった。
もちろん鍵はかけましたが、「窓を開けている=危険」という図式は、今ほど意識されていませんでした。
令和の夏は、熱帯夜だから窓を閉めてエアコンをかける。防犯の面でも窓を開けっぱなしにするのは躊躇われる。
昭和の「窓を開けて、夜風に吹かれながら眠る」という体験は、気候的にも社会的にも、もう取り戻せないものになってしまったのかもしれません。
あの夏はどこへ行ってしまったのか
昭和の夏が涼しかったわけじゃない。
あの頃も「暑い暑い」と文句を言っていた。汗だくになって、氷水に飛び込んで、冷やしたスイカをほおばっていた。
でも——「生きていられる暑さ」だった。
扇風機で乗り切れる暑さ、夕方になれば涼しくなる暑さ、窓を開けて眠れる暑さ。
それが昭和の夏でした。
気候変動は数字の問題じゃなく、「昭和の夏」と「令和の夏」の間にある、圧倒的な体感の差として、昭和を生きた私たちの体に刻まれています。
夕涼みをしながら、縁側でうちわを仰いで、遠くの花火を眺めた——。
あの夏の夕暮れの記憶だけは、令和の猛暑の中でも、涼しいままです。
皆さんの昭和の夏の記憶は、どんなものでしたか?
かっぱ隊長でした。
昭和40年代生まれの何の取り柄もない爺いです。
関西出身の東京在住。
懐かしいもの、怖いものが大好き。

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