こんにちは、かっぱ隊長です。
突然ですが、「かき氷機」と聞いて、胸の奥がじんわり温かくなった方。
あなたは間違いなく、昭和の正しい子供です。
そう、今日は昭和の夏の風物詩、家庭用かき氷機のお話です。
あの、押し入れの奥から毎年夏になると引っ張り出されてくる、赤くてガタガタした、でも最高に愛おしいあの機械。
昭和という時代が生み出した、夏の宝物について全力で語らせていただきます。
目次
- 昭和のかき氷機とはどんなものだったのか
- あの「削る音」が夏の合図だった
- シロップは何色を選ぶかが重大問題だった
- 友達の家のかき氷は格別においしかった理由
- 令和のかき氷と昭和のかき氷、どちらが上か
- あの赤い機械が教えてくれたこと
昭和のかき氷機とはどんなものだったのか
昭和の家庭用かき氷機といえば、まず思い浮かぶのはあの「赤い本体」です。
メーカーによって多少の違いはあれど、昭和の家庭のかき氷機といえば、たいてい鮮やかな赤色。
構造は至ってシンプルで、上部に氷をセットして、ハンドルをぐるぐる回すと、下からふわふわの削り氷が出てくる仕組みです。
電動モデルも一部ありましたが、昭和の家庭の定番はあくまでも「手動式」。
子供がハンドルを回して、お母さんがシロップをかける。この役割分担が昭和の夏の定番風景でした。
値段は当時で数百円から千円台程度。決して高級品ではありませんでしたが、毎年夏になると押し入れから引っ張り出されるその存在感は、まるで夏の主役のようでした。
「今年もこの季節が来たか」と機械を見ながら思う、あの感覚。
昭和の夏は、かき氷機が押し入れから出てくることで正式に始まったのです笑
あの「削る音」が夏の合図だった
昭和のかき氷機には、欠かせないものがもうひとつありました。それが「音」です。
ガリガリガリ……ガリガリガリ……
ハンドルを回すたびに氷が削られる、あの独特の音。
現代の電動かき氷機のようなモーター音ではなく、人力で氷と刃が格闘するような、どこかぎこちない、でも確実に夏を感じさせるあの音です。
近所の家からあの音が聞こえてくると、「あ、どこかでかき氷作ってる!」と子供心にソワソワしたものです。
我が家でも、お母さんが「かき氷にする?」と言い出した瞬間から、子供たちは一斉に台所に集まる。
そしてハンドルを「私が回す!」「私が!」と取り合いになるわけです笑
ハンドルを回す役は、ある種のステータスでした。
力任せに回しすぎると氷が粗くなる。かといってゆっくり回しすぎると氷が詰まる。
この絶妙な力加減を体で覚えていく過程が、昭和の子供にとっての「技術習得」だったわけです(大げさではありません)。
あの音は、単なる機械音ではなく、昭和の夏の記憶そのものです。
シロップは何色を選ぶかが重大問題だった
かき氷機と切っても切れないのが、シロップの問題です。
昭和のかき氷シロップといえば、定番は「赤(イチゴ)」「青(ブルーハワイ)」「黄(レモン)」の三色。
スーパーの棚に並ぶあの細長いボトル。子供はあれを見るだけで夏を感じたものです。
問題は、何色にするかの選択でした。
これが昭和の子供にとって、想像以上に重大な決断だったのです。
赤を選べばスタンダードで安心感がある。でも青を選べばちょっとオシャレな気分になれる。黄色は少しさっぱりしすぎて物足りないかもしれない……。
この葛藤を5分は悩んでいたかっぱ隊長です笑
また、シロップのかけ方にも技術がありました。
均一にまんべんなくかけるか、てっぺんに集中させてかけるか。
食べ進めるうちに下のほうにシロップが溜まっていく「底シロップ」現象を発見した時の喜びは、今でも忘れられません。
令和のかき氷は練乳やフルーツソースなど多彩なトッピングが当たり前になりましたが、あの三色シロップの単純な幸福感は、また別次元の話なのであります。
友達の家のかき氷は格別においしかった理由
ここだけの話をしましょう。
昭和の子供にとって、自分の家のかき氷より「友達の家のかき氷」のほうが、圧倒的においしく感じたものです。
なぜか。
理由のひとつは、「よその家のシロップ」です。
我が家では赤しか買わない。でも友達の家には青がある。この「非日常のシロップ」が、味覚に特別なスパイスを加えるのです。
もうひとつの理由は、「人に作ってもらった」という満足感。
自分でハンドルを回すより、誰かに作ってもらったかき氷のほうが、なんとなくおいしい。これは昭和に限らず普遍の真理かもしれません笑
そして三つ目の理由は、「よそのお家の冷凍庫の氷」の違いです。
昭和の冷凍庫から出てくる氷は、製氷皿で作った四角い氷が主流。この氷の質が家によって微妙に違い、削り心地も変わってくる。
友達の家のかき氷が特別においしかったのは、こうした複合的な要因があったのです。
かき氷は食べ物である前に、「誰かとの時間」そのものだったのかもしれません。
令和のかき氷と昭和のかき氷、どちらが上か
令和の現代、かき氷は空前のブームを迎えています。
専門店では一杯1500円を超えるかき氷が普通に売られ、ふわふわの食感と本格的なフルーツソースで、もはや芸術品の域に達しています。
昭和のあの赤い機械から出てくるガリガリした氷と比べたら、食感も味も雲泥の差です。
では、令和のかき氷のほうが上か?
……それは違います。断じて違います笑
昭和のかき氷には、令和のどんな高級かき氷にもない「プロセス」がありました。
押し入れから機械を引っ張り出す作業。製氷皿から氷を取り出す作業。ハンドルを取り合う兄弟喧嘩。シロップを選ぶ5分間の葛藤。
食べるまでの全プロセスが、昭和のかき氷体験だったのです。
令和のかき氷専門店は、確かにおいしい。でも「作る喜び」と「待つ喜び」と「分かち合う喜び」は、あの赤い機械にしかありませんでした。
おいしさの基準は舌だけでは測れない。かっぱ隊長はそう確信しています。
あの赤い機械が教えてくれたこと
昭和の家庭用かき氷機は、いつの頃からか押し入れの奥で眠るようになりました。
子供が大きくなり、コンビニのかき氷や専門店が増え、わざわざ手動で削る必要がなくなったからです。
でも、あの機械が教えてくれたことは、今でも心のどこかに残っています。
「手間をかけることの喜び」。
ボタンひとつで何でも手に入る時代に、ハンドルをぐるぐる回してやっと完成するかき氷には、確かな達成感がありました。
「分かち合うことの豊かさ」。
かき氷は、一人で食べるよりみんなで食べるほうが絶対においしかった。あの機械を囲む家族の笑顔が、昭和の夏の原風景です。
「不便さの中にある幸福」。
便利ではなかったけれど、だからこそ特別だった。昭和の道具はどれも、そういう豊かさを持っていたように思います。
令和の夏、たまには手動のかき氷機を引っ張り出してみてはいかがでしょうか。
あのガリガリという音の中に、昭和の夏の記憶が詰まっているはずです。
皆さんは昭和のかき氷機、ご記憶ですか?
かっぱ隊長でした。
昭和40年代生まれの何の取り柄もない爺いです。
関西出身の東京在住。
懐かしいもの、怖いものが大好き。


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