ビューティペアは「アイドル」か「レスラー」か!?昭和の女子プロレスが本気だった時代

昭和文化
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こんにちは、かっぱ隊長です。

突然ですが、「ジャッキー佐藤」と「マキ上田」という名前を聞いて、胸がキュッとなった方。

あなたは間違いなく、昭和の正しい子供です。

そう、今日は昭和50年代に日本中を熱狂させた伝説のタッグチーム「ビューティペア」のお話です。

プロレスラーなのにレコードを出し、プロレスラーなのにアイドル並みの人気を誇り、プロレスラーなのに男子小学生の心をわしづかみにしたあの二人。

昭和という時代が生み出した、奇跡のコンビについて、全力で語らせていただきます。


目次

  1. ビューティペアとは何者だったのか
  2. 「かけめぐる青春」が昭和のお茶の間を震わせた日
  3. 全女(全日本女子プロレス)という名の魔境
  4. ライバル・クラッシュギャルズとの時代の交代
  5. 昭和の少年たちが夢中になった理由
  6. ビューティペアが残したもの

ビューティペアとは何者だったのか

ビューティペアとは、ジャッキー佐藤(本名:佐藤裕美)とマキ上田(本名:上田真紀)による、全日本女子プロレスの伝説のタッグチームです。

活躍したのは主に1976年(昭和51年)から1980年(昭和55年)頃。

この二人、プロレスラーとして強いのはもちろんですが、当時の女子プロレスラーの常識を根底からひっくり返した存在でした。

それまでの女子プロレスのイメージといえば、「怖い」「激しい」「おっかない」の三拍子。

ところがビューティペアは、リング上では激しく戦いながら、リングを降りればまるでアイドル。

そのギャップが昭和の視聴者を完全にノックアウトしたわけです。

「プロレスラーってこんなに可愛くていいんだ!?」という昭和の常識崩壊事件でした笑


「かけめぐる青春」が昭和のお茶の間を震わせた日

ビューティペアがただのプロレスラーと一線を画したのは、なんといっても「歌手活動」です。

1976年にリリースしたシングル「かけめぐる青春」が大ヒット。

オリコンチャートで上位に食い込み、累計売上は100万枚を突破したと言われています。

プロレスラーが出したレコードが100万枚!?

昭和はなんでもありの時代でしたが、これはさすがに驚異的です笑

当時の子供たちは学校でこの曲を口ずさみ、テレビの前でビューティペアの試合と歌の両方をかじりついて見ていたわけです。

豆知識ですが、この曲のレコーディング時、二人はまだ10代。ジャッキー佐藤がデビューしたのは15歳という若さでした。昭和のプロレス界の「早熟っぷり」は現代では考えられないレベルです。


全女(全日本女子プロレス)という名の魔境

ビューティペアを語るうえで欠かせないのが、彼女たちの所属団体「全日本女子プロレス」、通称「全女」です。

全女といえば、昭和の女子プロレス界の総本山。

そしてここは、並みの精神力では生き残れない「魔境」でもありました。

練習は過酷の一言。合宿所での生活は軍隊さながらで、先輩からのシゴキも今では完全にアウトな内容だったとか。

ビューティペアの二人も、そんな地獄の訓練を生き抜いてリングに立っていたわけです。

あの笑顔の裏に、どれほどの汗と涙があったのか……。

アイドルっぽい外見とは裏腹に、その実態は昭和の体育会系根性論の塊だったのです笑

全女出身の選手がのちに「あの頃は本当に死ぬかと思った」と語るのを聞いて、かっぱ隊長は「やっぱりな……」と遠い目になったものです。


ライバル・クラッシュギャルズとの時代の交代

ビューティペアが昭和50年代前半を席巻したとすれば、昭和50年代後半に登場してその人気をさらに塗り替えたのが「クラッシュギャルズ」です。

長与千種とライオネス飛鳥によるこのタッグチームは、ビューティペアとはまた違うベクトルで昭和の少年少女を熱狂させました。

ビューティペアが「可愛さ×強さ」なら、クラッシュギャルズは「カッコよさ×強さ」。

この「可愛い路線からカッコいい路線への移行」は、昭和の女子プロレス人気の変遷をそのまま表しています。

ただ、ビューティペアがいなければクラッシュギャルズも生まれなかった。

先輩たちが切り開いたアイドル×プロレスという荒野があったからこそ、後輩たちがその道を走れたのです。

昭和のプロレス史は、先人への敬意なしに語れません。


昭和の少年たちが夢中になった理由

ここだけの話をしましょう。

かっぱ隊長も含め、当時の男子小学生がビューティペアに夢中になった理由は、プロレスの技術だけではありませんでした笑

「強くて可愛い女の人」という概念を、生まれて初めてテレビ越しに目撃したからです。

それまでの昭和の価値観では、強い女性=怖い、というイメージが支配的でした。

ところがビューティペアは、リングで激しく戦いながらも試合後はにっこり笑う。

これが昭和の少年の脳に「新しい価値観のインストール」をしてしまったわけです(異論は認めます)。

ジャッキー佐藤派とマキ上田派に分かれてクラスで議論したあの日々。

今思えば、あれがかっぱ隊長の「推し活」の原点だったのかもしれません笑


ビューティペアが残したもの

ビューティペアは1980年代に入るころ、それぞれの事情で解散・引退していきました。

しかしその後も、二人が昭和のエンターテインメント史に刻んだ足跡は消えていません。

「プロレスラーがレコードを出す」という前代未聞の挑戦は、その後の女子プロレスのアイドル路線に確実につながっています。

そして何より、昭和50年代の金曜夜、テレビの前に家族が集まって女子プロレスを見ていたあの光景。

父親も母親も子供も、みんなで「頑張れ!」と叫んでいたあの空気。

ビューティペアは、昭和の家族の団欒を作り出したコンテンツでもあったのです。

令和のエンタメは個人で楽しむものが主流になりましたが、あの「家族みんなで同じものを見て盛り上がる」感覚は、もう二度と味わえないのかもしれません。

そう思うと、ビューティペアへの懐かしさは、あの時代そのものへの懐かしさなのだと、かっぱ隊長は感じるのであります。

皆さんはビューティペア、ご記憶ですか?

かっぱ隊長でした。


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