令和のフルーツは、どれを食べても「甘い!」「糖度◯◯度!」と、まるでスイーツのような完成度です。しかし、昭和の果物は違いました。今よりもずっと野生味が溢れていて、砂糖の助けがないと攻略できない「強敵」だったのであります。今回は、昭和キッズたちが武器(スプーン)を手に、いかにして果物たちと対峙してきたか、その激闘の歴史を振り返ります。
酸味の刺客「赤い石」と、苦味の要塞「黄色い器」
1. 苺 今の「あまおう」や「シャインマスカット(これは葡萄ですが)」の甘さに慣れた若者に、昭和の苺を差し出したら、おそらく一口食べて「レモンか!」と叫ぶことでしょう。当時の苺は小ぶりで、そして何より猛烈に酸っぱかったのです。
見た目こそ可愛らしい赤色をしていますが、その中身は狂気の酸っぱさを隠し持った「赤い石」。そのまま食べるなんて、昭和キッズにとっては無謀な特攻に等しい行為でした。そこで、当時の家庭には二つの攻略法が存在したのです。
一つ目は、「缶入り練乳」による水攻めです。
現代のような便利なチューブ式ではありません。大きな缶の天面に、缶切りで2箇所、三角形の穴を開けるのです。そこからトロリと出てくる練乳を、苺が見えなくなるまでぶっかけます。しかし、この缶入り練乳には最大の弱点がありました。穴の周りに付着した練乳が、翌日にはカチカチに固まって、穴を塞いでしまうのです。あの固まった練乳を指で剥がして舐めるのが、実は密かな楽しみだった……というのは、昭和世代共通の秘密でしょう。
二つ目は、専用兵器を用いた「苺ミルク化作戦」です。
ここで登場するのが、昭和遺産の象徴「イチゴスプーン」です。底が平らで、なぜか苺のツブツブ模様が刻印されたあのスプーン。これを使って、皿の上で苺を親の仇のようにメッタ打ちにするのが昭和のスタンダードでした。
苺を跡形もなく潰し、そこに砂糖をドバッとかけ、牛乳をひたひたに注ぐ。苺が完全に「ピンク色の何か」と化した時、ようやく食事の準備は整います。もはや苺を食べているのか、自作の苺ミルクを作っているのか判別不能でしたが、あの最後に残った「ピンク色の液体」を飲み干す瞬間こそ、子供たちが至福を感じるゴールだったのです。
2. グレープフルーツ 昭和のグレープフルーツは、子供にとっては「果物」というより「修行」に近い食べ物でした。何せ、今のものより格段に苦く、酸っぱかった。自由化されたのが1971年(昭和46年)ですから、当時はまだハイカラで高級な存在でしたが、そのハードルは高かったのです。
ここで活躍するのが、第二の専用武器「ギザギザスプーン」です。
半分に切られたグレープフルーツの断面に対し、私たちは敬意を払う代わりに、大量の「グラニュー糖」を盛り付けました。そう、「かける」のではなく「盛る」のです。果肉の隙間を砂糖で埋め尽くし、真っ白な雪原のようにしてから、ギザギザスプーンで身を抉り出します。
この際、必ず発生するのが「目への直撃弾」です。力を込めて身を抉った瞬間、グレープフルーツが最後っ屁と言わんばかりに、鋭い酸味の汁を子供の目に飛ばしてくるのです。悶絶する子供。これを含めてのグレープフルーツ体験でした。
結局、苦い実を食べるための通行料として、私たちは致死量に近い砂糖を摂取していたわけですが、あれは果物を食べていたのでしょうか、それとも「果汁風味の砂糖」を食べていたのでしょうか。
黄金の王様と網目模様の高嶺の花
3. バナナ 今やコンビニやスーパーで簡単に買えるバナナですが、昭和30年代から40年代前半にかけて、バナナは「果物の王様」でした。
ある昭和のマンガでは、バナナを初めて食べる人が、食べるのに勇気が必要だという描写がありましたが、あながち誇張ではありません。当時の子供にとって、まだまだバナナは、簡単に食べられる存在では無かったのです。後に、「バナナはおやつに入りますか?」という、全日本小学生共通の質問が生まれたのも、それだけバナナが特別だった証なのです。
ちなみに、バナナの皮に出る黒い斑点「シュガースポット」。
これはバナナに含まれる「タンニン」が酸化したもので、実はこれが出始めてからが「熟成の完成形」です。見た目は少し悪いですが、中身はトロトロの甘さ。昭和の親たちは「黒いところがある方が甘いのよ」と教えてくれました。もちろん、皮全体が真っ黒で異臭がしたらアウトですが、あの完熟バナナのねっとりとした甘みは、まさに王様の風格でした。
4. メロン 最後に、昭和の果物事情を語る上で外せないのが「メロン」です。
網目の入った「マスクメロン」は、昭和においては「桐の箱に入った宝石」であり、一般家庭では法事の供え物か、よほどのお見舞いでしかお目にかかれない「神の食べ物」でした。
そんな中、1962年に登場したのが「プリンスメロン」です。
網目はないけれど、ツルッとした皮の中に詰まった圧倒的な甘さ。これによって「メロンを家で、しかも切り分けて食べる」という夢が庶民の間で叶いました。
ただし、昭和の貧乏性(失礼!)が発揮されるのはここからです。種に近い一番甘いところを奪い合い、その後は皮のギリギリまでスプーンで削り取ります。最終的には、ほぼ「きゅうりの味」しかしない部分まで食べてしまうのが、昭和のメロンに対する礼儀だったのであります。
不便だからこそ、美味しかった思い出
今の果物は、誰がどこで食べても最初から美味しい「完成品」です。
しかし、昭和の果物は違いました。スプーンでメッタ打ちにしたり、砂糖を山盛りにしたり、食べる側にも「工夫」と「覚悟」と「武器」が必要だったのです。
あの酸っぱさ、あの苦さ、そしてそれを力技でねじ伏せて食べた甘い記憶。
たまにはあの「酸っぱい苺」を、イチゴスプーンでグチャグチャにして食べてみたい……なんて思うのは、贅沢な悩みでしょうか。
皆さんの家の食器棚の奥底には、今でもあの「イチゴスプーン」や「ギザギザスプーン」が眠っていませんか?
もし見つけたら、それは昭和の激闘を戦い抜いた相棒なのです。
かっぱ隊長でした。

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