昭和のテレビを語るうえで外せないのが、割と頻繁に放送されていたホラー映画であります。今のコンプライアンス重視の時代では考えられませんが、昭和のテレビはお茶の間で流すにはあまりに刺激が強いホラー映画が、当たり前のように放送されていました。今回は、子供たちを恐怖のどん底に突き落とした、あの熱い時代を振り返ってみようと思います。
「怖ければ見なきゃいい」が通用した、自由すぎる昭和の夜
こんにちは、こんばんは、かっぱ隊長です。今回は私が今でも大好きなホラー映画についてであります。
今の感覚で言えば、
「え? これ、夜9時に流していいやつ?」という作品が、普通に放送されていましたね。今なら確実に、年齢制限や深夜送りになるような作品ばかり。でも昭和は違いました。
「怖い?じゃあ、見なきゃいい」この一言で、すべてが片付いた時代。
13日の金曜日でジェイソンが鉈を振り上げ、エルム街の悪夢でフレディが鉄の爪で引き裂き、チャイルドプレイでチャッキーがナイフで、罪も無い人々に次々と襲いかかります。
ちなみにジェイソンはチェーンソーは使いません。いろんな殺人鬼がごちゃ混ぜになった結果、ジェイソンはチェーンソーを使う、という思い込みが生まれてしまったようです。
話を戻しましょう。
そうあの時代、洋館はだいたい呪われていたし、街中はゾンビで溢れかえっていたし、キャンプ場ではカップルがイチャイチャしてると襲われる運命にあったのです。
その他、ゾンビ、バタリアン、ポルターガイスト、悪魔の住む家などたくさんの作品が堂々とゴールデンタイムに放送されていましたね。
そして、子供達を恐怖に叩き落とすのは、殺人鬼だけではありません。
「エクソシスト」「オーメン」「サスペリア」など悪霊が、悪魔の子が、魔女が、様々な脅威が子供達を恐怖のずんどこ、いやドン底に叩き落としました。
今考えると、よくもまあ、家族団欒の時間帯に、殺人鬼が人々を殺し回ったり、子供が悪魔に取り憑かれて首が180度回るなんてシーンを放送してたものです。
翌日の学校は、だいたいホラー映画の復習会。
『13日の金曜日』見た?」
『ジェイソン、また生き返っとったな」という会話が飛び交う。
そして必ず現れるのが、「怖くて見てない」と言いながら、内容を全部知っているやつ。なぜかラストまで把握しているのが、昭和の七不思議の1つであります。
話題になった映画の先駆けともいうべき衝撃のモキュメンタリー映画とは!
そして昭和はとんでもない洋画がありました。
そのタイトルはそう「食人族」!
行方不明になった撮影隊が残したフィルムに残っていた映像(そんなわけあるか!)を映画にしたという触れ込みで、当時は凄く話題になりました。
後にモキュメンタリー映画として話題となった『ブレア・ウイッチ・プロジェクト』の先駆けともなった映画でしたね。
人が鮎の塩焼きみたいに棒に突き刺されて、口から棒が飛び出しているポスターがショッキングでしたね。今思うと、このポスター、とてもキッズが見ていいものではありませんでした。
そして、こんなトンデモ映画も修正はありながらも、地上波の21時に放送された事があるようです。
凄いぞ、昭和!あの頃は色々と本当にゆるかったんですよね〜。
東宝東和の『ハッタリ宣伝』伝説
昭和のホラー映画界は、現代のようなコンプライアンスやCG技術がなかった分、「いかに観客を驚かせ、だますか」という宣伝の熱量が凄まじかったそうです。昭和の洋画配給を牽引した東宝東和は、とにかく宣伝が過激でした。
1『サスペリア』のショック死保険
『サスペリア』のショック死保険1977年公開時、「映画を見てショック死したら1,000万円の保険金を支払います」という「ショック死保険」を本当にかけて宣伝しました。さらに、有名な「決して、ひとりでは見ないでください」というコピーは日本独自のもので、大流行しました。
2. 『エクソシスト』の映画館に響く「悲鳴」
1974年に日本で公開された際、あまりの恐怖に映画館で失神者や嘔吐者が続出したと言われています。実際に、続出したのかどうかはわかりませんが、日米で、ショックで倒れる人やトイレに駆け込む人がいたのは事実のようです。
忘れられない昭和ホラー映画。昭和のホラー映画は、単なる映画ではなく、テーマパークのアトラクションのようなものだったのかもしれませんね。
さて、今夜は久しぶりに、『13日の金曜日』でも観ようかなぁ、と思うジジイなのでした。


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